先日書店で、WordPressの本を見ていた私の隣に、ある親子が現れた。
父親はブツブツ言いながら、プログラミングの本を幾つか手に取り、息子さんに話しかけた。
「どれでもいいから選びなさい、これからの時代は必要だろう」と。
息子さんは携帯の画面に夢中で、まるで耳に入っていない様子だった。
父親は諦め、そして結局何も買わずに去っていった。
ベトナム・ダナンにあるアジア最大級のITパーク。開発、研究に世界中から企業が集まる。
現在はまだ建設途中だが、一部はオープンしている。関係者の住居などもある。
完成したらアジア最大級だ!!
こんな所に就職できるなら、是非就職してほしい。多くの親は子供達に密かに期待を寄せるが、
今は子供から大人までゲームやアニメ、アイドルに夢中だ。子供はITパークに興味なんてない。
さっきの子供が必要と思っているのは、誰にも邪魔されないゲームができる時間と環境だ。
今、目の前のことしか見えていない。守られているという安心感が余裕を生み出している。
子供達の全力で今を楽しんでいる姿を見ると、ベトナム、カンボジアの田舎の方やフィリピン人を思い出す。
今が楽しければいい
彼らは、お給料はもらったら直ぐに使う。貯金なんてしないし、今を本気で楽しみ生きている。
お給料前にお金が無くなってしまって落ち込んでいたら、周りの人が食べさせてくれる。
そんな事は当たり前で、お互い様なのだ。お金がある人が出すし、困っていたら助けあう。
だから発展途上なのか。。とも思えるが、そこは今まで先進国が築き上げてきた所から、一気にワープして発展しているので問題ではない。
お互いに認め合えるから、ニートだとしても後ろ指を刺される事はないだろうし、
今ニートで辛い思いをしている人がいるなら、そうした国に行けば幸せかもしれない。
そうした寛容さは日本にいたら、考えられないことで。特に今、逃げ切り世代が老害だ。
このくらいの年齢の人たちは、年功序列の終身雇用で生きて来た実績がある。
たくさん働いて貯金して、子供達や孫達もこうあるべきだ!と本気で勘違いしていて、その物差しで人を評価するのは迷惑だ。
常識と思っている勘違い
社会に出て時間に追われて働いて、やっと帰宅しても疲れて寝てしまう。
そしてまた次の日はくるし、こんなに大変な思いをしても、ほとんどの人は裕福ではない。
それが今の日本社会だ。
しかも大体の親はこうやって生きているので、それを見て育った素直な子供達は、大人になったら、これが普通だと思ってしまっている。
日本の戦後の奴隷教育もそうしているから、当然不思議に思わない。
ぼーっと過ごしてきた子供は、流れるまま辿り着いているはずだ。そして、何でこうなったんだろう?
と気がつく。
常識とは18歳までに積み重ねた偏見のコレクションでしかない
こう言っていたのは、ドイツの理論物理学者のアルベルト・アインシュタイン
今の子供は、インターネットを通して教育も受けれるし、人間関係だって築き上げることができる。
こういう子供達を見ると、親から見たら異常じゃないかと心配してしまう。でも決して異常ではない。
この時代に生きている子供が、時代に合った事をしている。ただそれだけの事だ。
むしろ鉛筆を握って漢字練習とかしている方が、これからの時代は心配なのではないか?
GoogleさんとAI先生が教えてくれる
昔は頭に入れておかなければ、いちいち辞書を引かなければならなかった。だから高学歴を求められた。
でも今は違う。大学卒業だからなんですか?それであなたは何ができるんですか?
ググれば一瞬で正確な情報が手に入る時代に、暗記が得意です、みたいな人を企業は欲しいと思うだろうか?
どう考えても、人間の方が劣っている。AI時代は、それを扱える側の人間にならなければならない。
学校の勉強よりも少しでも多くの機械と機能に慣れていく必要があると思うが、それを子供達は、楽しいという気持ちだけで使い慣れていっている。こう考えると、頼もしく思えてくる。
日本人は世界一大人になったら勉強しない
世の中は常に進み続けているのにも関わらず、なぜか大人になったら勉強をやめてしまう日本人。
周りにいる人でいつも勉強している人はいるでしょうか?
時代は凄いスピードで進化しているのに、なぜ勉強しないのでしょう?
世の中の流れを理解し、初めて子供に勉強しなさいと的確にアドバイスをできると思います。
勤勉な日本の大人達が勉強を始めたら、置いていかれた時間を取り戻せるかもしれません。
子供と自分のために勉強し続ければ時代の流れが見えるようになります。
流れに乗っていけるように、時代を少しでも読み取る力が必要なのではないか。